2008.03.11
沢田研二という虚構

[沢田研二] 今,私は,沢田研二大ブーム中である。盟友・もえたろう女史のカラオケリストを見たせいかもしれない。しかし,和田アキ子は来ないで,ジュリーだけが来た。最近はyoutubeでジュリーの映像を見まくり,iTuneでダウンロードしまくりの日々である。
子供の時もジュリーは好きだったが,歌手としての彼よりもドリフと一緒にコントをやっているような彼の方が好きだった。歌手としてのジュリーは子供の私には濃すぎたのだ。しかし,今や私もあの頃の彼と同じくらいの年になってしまった。
今になってやっと分かった。ジュリーの本当のカッコ良さを。
今なら心の底から言える。ジュリーは本当に素敵だと。
ジュリーのセクシーさは,「男らしさ全開」という方面では決してない。どちらかというと,ある年代の少年が漂わせる,男でもなく女でもない,大人でもなく子供でもない妖しさからくるものである。バタくさいようで,意外と和風だし。その昔「魔界転生」で天草四郎を演じていたが,まさしくそういう妖しさである。当時の歌声を聴くと少年っぽさを感じるし,歌っているときの仕草にしても,時々ものすごく子供っぽいことをする。そういう「何者でもない」,「いろいろなカテゴリの境界線上にいる」人って,今はいない。
ジュリーのすごいところは,女性ファンも勿論多いけど男性ファンも意外と多いことだ。私より少し上の年代の複数の男性が「子供の時にジュリーに憧れていた」と言っている。ジュリーみたいな人間になりたかったと。大人になれば単なる男にしかなれないことに気が付き始めた男の子が,テレビの中の「何者でもない人物」を見たらちょっとしたショックだろう。
そんな何者でもないジュリーは,あの時代の歌の中の「虚構」を表現するのにうってつけの人物だった。故・阿久悠の歌詞がものすごい。例えばサムライの冒頭。
片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
カッコよすぎる。あまりにもカッコよすぎて,その辺の人が言うと,気障かバカにしかみえないくらいだ。この歌のフィクションは沢田研二の存在によって成り立つのだ。
レコード大賞を獲った「勝手にしやがれ」の2番のサビも大好きだ。
夜と言うのに派手なレコードかけて
朝までふざけよう
ワンマンショーで
こんなのジュリー以外の人が歌っても何の説得力もない。子供っぽい悪ふざけ,大人の男のやせ我慢を両立させることが出来たのはジュリーの力だ。youtubeの「勝手にしやがれ」の映像を貼っておく。カッコ良さに失神しないように。当時「アイドル」はたくさんいたが,スーパースターといえたのはジュリーだけだと思う。
しかし,そんな彼も年をとってきて,顎の下のお肉がどうにもならなくなってきた(笑)せいで,虚構性がなくなってしまった。そんな京都の旦那みたいな現在の彼も実は好きである。何しろ,彼と志村けんの舞台を観に行ったくらいですから(笑)
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Comments
似ていると言われた人についてのエントリなのでコメント。
沢田研二の「何者でもない人物」というのは「何者であっても納得できる」んですね。どのように「日常」と乖離した何者であっても。そこが、例えば、片岡鶴太郎も「何者でもない人物」だけど「何者であってもウソくさい」のようなのと正反対ですな。鶴太郎のこれまでの最高の芸は「熱々おでん」というのは誰もが認める所でしょうが、それすら今では「あのおでんってホントに熱いのか」と思ってしまう。
おそらく、スーパースターには、沢田研二のような「何者でもない」し「何者でもありうる」と、一方では「他の何者でもない」團十郎としか言いようがないというような方向があるんでしょう。和田アキ子も「他の何者でもない」和田アキ子としか言いようがないが、團十郎ほど「日常」と乖離がしていないのが「来ない」理由でしょうか。
モトヤちゃんも「他の何者でもない」モトヤちゃんだし、あまりに「日常」と乖離もしているので、芸が鶴太郎レベルでウソくさいけど気になるとか。おそらく、沢田研二の歌詞はモトヤちゃんが歌っても、沢田研二と違った意味、「逸脱の整合性」という意味で「説得力」があります。
Posted by: 南郷力丸 | 2008.03.11 at 02:57 AM
アラン・ドロンのように美しく年をとれたら
パーフェクトなんだけどそこまでうまくはいかんかったですね。
わたし的には阿久悠脚本上村一夫作画の
「悪魔のようなあいつ」テレビ版の主演が印象に
残っています。三人のアーティストと現実の三億円犯人が
ウヤムヤに融合して気持ちよかった。四者から
どの二者を組んでも合うとは珍しい。
グループサウンズ終焉後に各グループからトップを
集めたロックスとかいうユニットの「花・太陽・雨」
はなぜか帰りマンが植物怪獣レオゴンと戦うBGMに
使われました。なにかオトナの事情があったのだろーか。
Posted by: 砂野 | 2008.03.11 at 03:36 AM
いいですねえ!私なら帽子を投げるところで失神だな。
と言いつつ、親が厳しくてジュリーが出演する番組をあまり見せてもらえなかった私ですが。
我が家でもジュリーに対する評価は高くて
ロイヤル・ストレート・フラッシュ持ってます(笑)。
今になって改めて聴くとグラムロックっぽいかなとも思ったんですが
意外とこの時代の歌謡曲って、こういうカッコイイ曲がけっこうあるんですよね。
アン・ルイスとか、ちょっと時代は遡るけど山本リンダも見直しました。
てか志村けんとジュリーの組み合わせはゴージャスですねえ!
Posted by: しのぶ | 2008.03.11 at 09:10 AM
私ももってますよージュリーはいいな。
今になって樹木希林の「ジュリー」悶えが判るような気がします。やっぱいいですよ。イギリスにはデヴィッド・ボウイがいるならこっちはジュリーだ!って感じ(ちと違うかも)ボウイなんかいまだにあの容姿を保っているのをみるとちょっと怖くなってきます。(冷血動物そうなところがまた怖さ倍増)
砂野さん
横レス失礼します。
ジュリーとショーケンのツインボーカルがウリだったGS残党寄せ集めグループって「PYG」じゃないですか?
Posted by: 瑠璃子 | 2008.03.11 at 09:32 AM
なに,この皆さんの食いつきの良さ! ジュリーおそるべし。
>南郷さん
あ,今のジュリーにちょっと似てると私もエントリ書きながら思いましたよ。京都の旦那風なところが。
それはともかく,ジュリーは「何者でもなりうる」というのは確かに。天草四郎になれたのはこの人だけですね。その何者というのが,日常的な存在よりも,日常と乖離した存在の方がなぜか説得力があるのがジュリーです。
鶴太郎との違いは,「何者でもない」ところに作為があるかどうかもあるでしょう。鶴太郎は意図してそうしているせいでどこか嘘臭いが,ジュリーは何もしなくてもああいう感じだったから説得力があった。和田アキ子は團十郎的ではあるけど,「関西の不良娘」とか「ゴッド姉ちゃん」とかいろんなラベルがつきすぎているのがダメなのかな。そのせいで「分かりやすさ」が増して,今のような状態になったのでしょうが。
あと,モトヤちゃんが「勝手にしやがれ」歌ったらリアルすぎて笑えません。
>砂野さん
年の取り方だけが妙にリアルなのが面白いんですよね。まあ,でも,本人は幸せそうなのでいいかと。
俳優としてもジュリーはいいですなあ。どこか現実感がないのがいいのでしょうね。
あと,瑠璃子さんからも指摘がありましたが,そのバンドは「PYG」だと思いますよ。
>しのぶさん
帽子投げるところと,「出ていってくれ♪」というところの目線でキャー!って言っちゃいます(笑) 全盛期のジュリーはスケスケの衣装で歌ってたりするので,教育上よろしくなかったかもしれんですね。
グラムロックだけでなく当時の洋楽の流行りは押さえていますね。音もそうだけど,映像で見ると「ああ,こんなの流行ってたよ!」というのが分かりますよ。昔の歌謡曲って音は結構洋楽っぽいし,歌詞も凝ってますね。ムード歌謡の歌詞って今改めてじっくり読むと,深いですよ。
>瑠璃子さん
そうそう,「ジューリーーーーーー!!」って悶え。大人になってはじめて身にしみました(笑) デヴィット・ボウイって実在するんですよね? 昔からCGっぽいのが怖いです。それに比べるとジュリーは天然ですね。
Posted by: コバヤシ | 2008.03.11 at 12:25 PM
やっぱりジュリーもあの状態をキープしていったらボウイっぽくなってしまったかも。だんな風に「成長」した今はアレはあれでいい感じだと思います。夫婦善哉見てみたいっす。
ちなみにボウイは「ジギースターダスト」っていうライブでメイクさんに歯抜け晒した満面の笑みで「きのーウチのおかあちゃんがUFOみたんだよーほんとだよー」っていうシーンがその辺のホラー映画よりもよほど怖かったのを覚えてます。あのあたりがCG化への分かれ道だったんですね。
今度4月に例の映画ご一緒した際には名盤解放の曲もって行きます。「男が死んでいくときに」(安藤昇)とかですが、知っていたらごめんなさい。あの歌詞書きながらジュリーか。阿久悠はマジすごい。
Posted by: 瑠璃子 | 2008.03.11 at 01:21 PM
ジュリーもボウイも体温がなさそうですよね。例えば西城秀樹の半径5メートル以内は気温が高そうですが,ジュリーはおそらくそういうことはないでしょう。
ボウイといえば,高校の時同じクラスだった可愛い女子が「実はデヴィット大好きで……」と嬉しそうに言っていたことを思い出します。おそるべし!
例の映画なんですが,ちょうど11日から新学期が始まってしまうことが発覚し,行けなさそうです(しょぼーん)。日程合わせてくださったのにごめんなさい!! 1週間遅いと思ってたのになあ……。
「男が死んでいく時に」は聴いたことがないですね。阿久悠の歌詞って,全般的に大仰なので歌手に力がないとバカな結果になりがちです。「どうにも止まらない」も「ブーメランストリート」もリンダやヒデキだからギリギリ成立する歌です。
Posted by: コバヤシ | 2008.03.11 at 06:28 PM
「PYG」でしたかすみません。
ジュリーの不思議な存在感は「トリック」あたりで
使って欲しかったです。
Posted by: 砂野 | 2008.03.11 at 07:02 PM
きゃー!残念です。でも遊就館でもやるそうですよ例の映画。なんか「 必 死 だ な 」という感想しか浮かびません。
「男が死んでいくときに」はこれ以上ないぐらい大げさな歌詞ですが、安藤昇の壮絶な存在感がすべてを帳消しにします。とりあえず今度お逢いしたときにはお渡ししますわい。
Posted by: 瑠璃子 | 2008.03.11 at 09:04 PM
>砂野さん
PYGについてはwikipediaにも掲載されてます。「花・太陽・雨」は岸部一徳が作ったのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/PYG
トリックもいいのですが,昭和初期のドラマもいいと思いますね。
>瑠璃子さん
本当に本当にすみません! ああ,もう来月から講義か…。土日とか社会人が行きやすい日に上映して欲しいもんですよ。
「男が死んでいくときに」というタイトルからして,阿久悠劇場という匂いがしますが,そうですか,帳消しですか。楽しみにしています。
Posted by: コバヤシ | 2008.03.11 at 10:14 PM
行けなくなった上映の翌日ですが、高円寺で穂野香ちゃんのライブがあるらしいです。それぞれならともかく、両方が見られるなら、と、そちら方面に行く用事を企んでるのですが、新年度なので、そう都合良くはならなさそう。
Posted by: 南郷力丸 | 2008.03.27 at 08:06 PM
高円寺!! ぜひ行きたいけど,12日は読響に行くからダメです。
というか,南郷さん,ホノカちゃんになぜそんなに詳しいのですか。一度エントリ書いてくださいよう。
Posted by: コバヤシ | 2008.03.28 at 03:23 PM
ショーケンの本で、ジュリーやジュリーの歌に対する姿勢を読んでまた好きになりました。
ユーチューブで去年のライブ映像で感動しました。
今のジュリーだから歌える歌というものも多くて、
それがまた泣けます。
今年の還暦のツアー行きたいです。
確かにジュリーの容姿こそ変わったけれど、歌と魂は美しく感動してしまい、容姿も違和感を感じなくなりました。すごいなと思いました。
Posted by: ユリねこ | 2008.04.18 at 07:15 PM
ユリねこさま
はじめまして。コメントありがとうございました。
そうそう,ジュリーはまだまだ「枯れる」ことはないんですよね。演劇でも映画でも歌でも,彼なりのこだわりがあるというのは強く感じます。ジュリーは,コクーンでの志村けんとの共演舞台でも,劇中歌を歌ってましたが,声の艶は相変わらずでした。というか,ますます歌がよくなっているように感じました。
還暦ツアー行きたいんですが,予定が合わなくて……。ユリねこさまは是非!
Posted by: コバヤシ | 2008.04.20 at 03:03 PM
http://logic.txt-nifty.com/catalogs/2008/03/post_2a15.html